1985年、群馬県前橋市生まれ
2010年、J&Hジャパン(現株式会社ハクサン生産部)にて研修の後、父親が経営する有限会社はなせきぐちへ入社・就農。
クレマチスは幼少期から温室内で見て育ったものの印象は薄く、興味を持ち始めたのは東京農業大学在籍時でした。
卒論の研究材料と併せて大学近くのホームセンターで購入したのが始まりで、その時に入手した品種はハンショウヅル、ラムトンパーク、ハーグレーハイブリッドの3品種。
また、実生にチャレンジし始めたのもその頃で、実家に帰省した時に父親が「めちゃくちゃ珍しくて高価なクレマチスの種がある」と
説明されたのがテキセンシスの種でした。
その種を父親から分けてもらい、大学の研究温室の端で卒論と関係なく個人的にひっそりと種を撒き、発芽は成功したものの時既に卒業目前。その後の進路も既に決まっていたため、折角発芽した高価なものを研修先で枯らすわけにはと怖気づいて一旦実家に苗を戻して父親に管理してもらい、1年間の研修を終え実家に戻った頃には大苗になっていて、いざ開花の時を迎えたら…なんとその花はクリスパでした。なんて笑い話が私の実生の始まりです。
なお、後にそのクリスパから2世代後の実生選抜株が2016年に発表した私のクレマチス作出第1号でもある「貴婦人のたしなみ」となりました。
本格的にクレマチスへ関わり始めたのは金子明人氏と出会ってからとなります。
父親の育種家仲間である矢祭園芸の金澤美浩氏から池袋サンシャインシティで毎年行っている春の花々とクレマチス展に出てみないかと誘われ、その事前打ち合わせが金子氏との初対面でした。
事前打ち合わせで金子氏から「せっかくクレマチス展と銘打っているのなら、沢山のクレマチスが見られて買える場にしていきたいよね」という提案があり、そこからクレマチスの蒐集が始まりました。
父親がその当時生産販売していたクレマチスでも70品種近くありましたが、あれよあれよという間に増えていきました。
数年後、仕事と趣味の境界が曖昧になるほどクレマチス沼に浸かった辺りで金子氏から「君はもっとクレマチスの勉強をした方がいい。
面白いクレマチスの展示会があるから見に行ってごらん。」と紹介されたのが東海クレマチスの会の展示会でした。
そこで廣田哲也氏と出会い、クレマチスの育種熱に火が入ってしまってさあ大変。
育種をするにはもっとクレマチスのことを知らねばと更にクレマチス熱が加速。育種仲間の大内広明氏の伝手で早川廣氏を紹介していただいて勉強に拍車がかかり、大学の後輩が白王冠や朝霞を作出した久保田氏の孫と分かると直ぐに後輩に頼み込んで竹間幹好氏を紹介してもらい、温室を無理言って見学させてもらったり、原種のことも知らねばならぬと筑波実験植物園に行きセミナーを受講したり、大手ナーセリーのオープンファームやイベントに足を運んだり…。
そんなこんなで更に数年経った頃、春の花々とクレマチス展で色々なクレマチスを販売するという大義名分を掲げて集めたクレマチスは気づけば300品種超。
パートさんや両親では把握しきれず全て自分が管理し、それと並行して新品種開発を進めることになりてんやわんやな毎日を過ごす羽目になり今に至ります。
そんな私の作出しているクレマチスですが、第一のコンセプトとしては「育てやすさ」を重点に置いたものとなっています。
特に重視しているのはクレマチスの大敵である「うどん粉病」と「立ち枯れ病」の2点。
クレマチスは綺麗な花だけど難しい、と思われてしまう病気への弱さを克服したものを提案し、上手に咲かせられる人を増やしたクレマチス好きの裾野を広げたい、という思いがあります。
それに病気に強ければ農薬減らせるから生産コストも下がるよね!一石二鳥!という生産面でのプラスも含まれます。
むしろ後者の方が重要ですね。これでご飯食べていけるのかと不安になるくらい立ち枯れ病に悩まされたこともありましたから…。
勿論風変わりな花も好みではありますが、どうしても「これちゃんと育てられるかな…?」という面を意識してしまいがちです。
そういうものは後生大事に残しておいても大抵枯らしてしまうので、まぁ自分が駄目なら他人も駄目だよね。と見切りをつけることにしています。
中にはそれでも生き残る品種もあるので、もしかしたらそのうち発表するかもしれません。
主な作出品種
和心、月香、綾乃、藤の彼方、虹の彼方、琴子、ティンクルピンク、ティンクルパープル、貴婦人のたしなみ、フェルマータピンク、アロママテリア、霞、澄夏、朝靄イマジナリィ、夕凪ノスタルジィ、風和里














